名状しがたい随想帳のようなもの

アニメ・声優関連の話が中心です。たまに関係ない話もします。

運動が嫌な私の考え

このような記事を目にしました。

 

www.asahi.com

 

 

この中でとりわけヒャダイン氏のコメントに深く共感しました。

「 体育が嫌なのは恥をかかされるから。周りに迷惑をかけている申し訳なさ、馬鹿にされているんだろうなという自虐。ネガティブな感情ばかりが渦巻くんです」

 

そうなんですよね。自分が下手なプレー、初歩的なミス(ボールをトンネルするとか)をしたときにふつふつと湧いてくるこの感情が私は嫌で嫌で仕方ないです。

 

運動できる人が常々言ってる「楽しいじゃん、体動かすの!」って間違っているのではと考えることがあります。

正しく言うと「体を動かせられるから楽しい!」ではないのでしょうか?

 

私のような運動音痴クラスタに属する人間は”体を動かせられないから楽しさがわからない”のです。

 

運動を楽しめる人はたとえ下手くそなプレーをして/見ても「運動している今この状況が楽しい」という”楽しい”フィルターによって下手なプレーへの鬱陶しさがいくらか軽減されていると思います。だからこそ彼らは「ドンマイ!ドンマイ!」と気持ちを切り替えることができるのです。

 

しかしどうでしょう、私のような"楽しい”フィルターを有さない人間は。

やってしまったという感情が直にズサズサと心に突き刺さります。

結果、先のヒャダイン氏の発言のような申し訳なさ、自虐、恥…といった思いが大きくなるのです。

 

そうしたらアクティブな人々はこう言うでしょう。

「練習して動けるようになってわーい!たーのしー!できる体になればいいじゃん」

と。

 

いやいや、やればできるからといって楽しくないもの続けるって大変ですよ…

あなただって楽しくない勉強を親に言われて無理矢理やらされるの嫌でしょ。

 既に別の楽しいことを知っているのですから、運動に楽しさを求めてエネルギーを割くなんて特段しようと思わないのです。

 

その上、マイナスからスタートする人間の相手を誰がするのでしょうか?

自分の楽しさを犠牲にして練習に付き合ってあげることができますか?楽しい遊びを知りたいという少年少女の相手ではないのですよ。

仲間との楽しい試合の時間を犠牲にして我々のような楽しさを理解しようと特段思わない人間、自虐心・申し訳なさ渦巻く人間の世話をし続けることができますか?

そんなこと嫌じゃないですか?*1

 

この2点から「練習すればいいじゃん!」なんて軽々しく言うなよとなるわけです。 

 

当たり前のことに過ぎないですが、運動できる人は運動できる仲間同士で思う存分楽しんで、運動したくない人は距離を置くべきなんですよね。

 

 「皆巻き込んで運動しようぜ!」という職場やグループの付き合い事なんて滅べばいいのにという話でした。

 

 

終わりだよ~

 

 

 

 

myakoh

*1:「おう、世話してやろう」と心から思える方は、素晴らしい指導者だと思います。